ヒストリカルガレージ [古い写真]
2006年6月にお台場で撮影したオールドカーです。
かなりの期間、お台場へはご無沙汰しており、このような展示場がまだあるか否かは不明です。
アルファーロメオ
MG
スバル360
ミゼット
本田S600
ベンツ
シトロエン 11B
ポルシェ
コルベットとロータスエラン
D200
かなりの期間、お台場へはご無沙汰しており、このような展示場がまだあるか否かは不明です。
アルファーロメオ
MG
スバル360
ミゼット
本田S600
ベンツ
シトロエン 11B
ポルシェ
コルベットとロータスエラン
D200
古い古い写真
亡き父のアルバムの撮影をしていて、私が2〜3歳の頃の写真が見つかりました。
私にとっては貴重な写真です。
私が写っていたページですが年齢が判ってしまうので、昭和の年号は消しています。
見易く補正した写真の一部です
私にとっては貴重な写真です。
私が写っていたページですが年齢が判ってしまうので、昭和の年号は消しています。
見易く補正した写真の一部です
津久井湖の写真
葬儀後の雑用は続いていますが、49日までは間があり、とりあえずは山を越した感じです。
某地元の協会が主催の津久井湖の写真コンテストがあり、初めて応募してみました。
過去一年以内の撮影という制約はありますが応募点数に制限が無く、候補作品を選んでいたのですが中断していました。
締切りが迫ったので、6点に絞り込み自家プリントして郵送にて応募しました。
私の風景写真はカレンダー向きで、見てきれいで見飽きない普遍的なものを好んでおり、写真コンテストには向かない作風で、写真コンテストへ応募はほんの数回しかありません。
一方、コンテスト入賞作品を見ると、私の作風的なものは少なく、一見して目立つ個性的な作品が選ばれる傾向が強く、それも審査員の好みが強く反映されやすいと審査員の経験がある写友が語っていました。
今回の応募作品は多少は目立つものを選びましたが、入賞の可能性は少ないと思われます。
以下の2点は近場の山をきめ細かく歩き回って見つけた地元の人でも殆ど知られていない地点からの撮影です。
写真コンテストでは写真毎に名前を付けなければなりませんが、それが苦手で、今回も写真の名前付けに一番苦労しました。
例えば同じ場所で構図を変えて何点か撮影したとしても、写真毎に番号は付けられますが、名前を分けるのは苦行でしかありません。
某地元の協会が主催の津久井湖の写真コンテストがあり、初めて応募してみました。
過去一年以内の撮影という制約はありますが応募点数に制限が無く、候補作品を選んでいたのですが中断していました。
締切りが迫ったので、6点に絞り込み自家プリントして郵送にて応募しました。
私の風景写真はカレンダー向きで、見てきれいで見飽きない普遍的なものを好んでおり、写真コンテストには向かない作風で、写真コンテストへ応募はほんの数回しかありません。
一方、コンテスト入賞作品を見ると、私の作風的なものは少なく、一見して目立つ個性的な作品が選ばれる傾向が強く、それも審査員の好みが強く反映されやすいと審査員の経験がある写友が語っていました。
今回の応募作品は多少は目立つものを選びましたが、入賞の可能性は少ないと思われます。
以下の2点は近場の山をきめ細かく歩き回って見つけた地元の人でも殆ど知られていない地点からの撮影です。
写真コンテストでは写真毎に名前を付けなければなりませんが、それが苦手で、今回も写真の名前付けに一番苦労しました。
例えば同じ場所で構図を変えて何点か撮影したとしても、写真毎に番号は付けられますが、名前を分けるのは苦行でしかありません。
喪主は大変
久しぶりのblogです。
1月16日に老人ホーム入所中の父が亡くなり、1月22日に無事葬儀が執り行われました。
12年前に母が亡くなった際も大変だったのですが、今回も葬儀以外にもやるべきことが多く、
忙しい日々が続いています。
・死亡診断書入手と死亡届作成提出
・葬儀場の決定、葬儀日程の調整、葬儀場との葬儀内容の交渉
・葬儀費用の捻出
・遺影や思い出の写真編集とプリント
・老人ホームから父の所持品引き上げと老人ホームへの感謝の付け届け
・葬儀は近親者だけだったため、葬儀後に訃報を親類等へ郵送
・成年後見人終了届けを家庭裁判所と法務局へ提出
・49日法要と納骨日程調整
以上が本日までに終了しましたが、
まだまだやるべきことが残っています。
・年金事務所へ年金受給停止手続き
・位牌の手配
・仏壇を実家からの移動を専門業者へ依頼
・石材店へ墓誌への戒名等の彫刻依頼
・香典返しの準備
・準確定申告書の作成と申告
・税理士への相続税対応依頼
・遺産分割協議書の作成
・銀行口座凍結解除申請
等、頭が痛い内容ばかりで、まだ漏れがあると思われます。
葬儀関連の撮影はしていますがblogに載せる内容ではないため、今回は2020年1月に撮影したダイヤモンド富士の写真です。
1月16日に老人ホーム入所中の父が亡くなり、1月22日に無事葬儀が執り行われました。
12年前に母が亡くなった際も大変だったのですが、今回も葬儀以外にもやるべきことが多く、
忙しい日々が続いています。
・死亡診断書入手と死亡届作成提出
・葬儀場の決定、葬儀日程の調整、葬儀場との葬儀内容の交渉
・葬儀費用の捻出
・遺影や思い出の写真編集とプリント
・老人ホームから父の所持品引き上げと老人ホームへの感謝の付け届け
・葬儀は近親者だけだったため、葬儀後に訃報を親類等へ郵送
・成年後見人終了届けを家庭裁判所と法務局へ提出
・49日法要と納骨日程調整
以上が本日までに終了しましたが、
まだまだやるべきことが残っています。
・年金事務所へ年金受給停止手続き
・位牌の手配
・仏壇を実家からの移動を専門業者へ依頼
・石材店へ墓誌への戒名等の彫刻依頼
・香典返しの準備
・準確定申告書の作成と申告
・税理士への相続税対応依頼
・遺産分割協議書の作成
・銀行口座凍結解除申請
等、頭が痛い内容ばかりで、まだ漏れがあると思われます。
葬儀関連の撮影はしていますがblogに載せる内容ではないため、今回は2020年1月に撮影したダイヤモンド富士の写真です。
父の遺影 [画像処理]
1月16日の夕刻に父が104歳で大往生しました。
父は都内に住んでいましたが、母が亡くなってから認知症が進み、毎週末に家内と世話のために訪れ、平日はデイサービスにお願いしていましたが、ついには介護のため勤めを止めざるを得なくなりなりました。
11年前、93歳の時に自宅から近い特養老人ホームに入所することが出来、また同時期に父の成年後見人にもなりました。
102歳を過ぎたころより体力の低下が目立ち、昨年は誤嚥性肺炎のため4度も入退院を繰り返し、正月明けに、担当医師からそろそろ覚悟してほしいと言われていました。
葬儀は、火葬場が混雑しているため1月22日まで待つことになり、コロナ禍の状況下、近い親族だけの家族葬です。
葬儀場の方より、生前の写真を並べて飾ることが出来ると言われ、若いころの写真も含めて20点ぐらい選んで飾ることにしました。
20年ほど前からは小まめに撮影したデータがありますが、それ以前の写真は都内の実家に保管されているアルバムとなります。
ということで、昨日、都内の実家まで出向き、アルバムの中からこれはと思える写真を60点ほど撮影してきました。
大部分は色あせてくすんだ状態でしたが、画像処理により見やすい写真に補正し、それらの中から6〜7点ほど選んでプリントして飾ることにしました。
かなり古い写真ばかりなので、プライバシー的には問題ないと判断し、その一部を紹介します。
25歳ごろ、80年ほど前の写真です。
アルバムの状態
50歳ぐらいの時に母と旅行の際に撮影したと思われます。
補正前のアルバム写真
これらの画像処理はSilkypixでRAW現像後、フォトショップのお世話になっています。
祭壇に飾る遺影は元写真お渡しすれば式場のほうで遺影に加工していただけるのですが、12年ほど前に撮影した写真を選び、私の方で入念に仕上げ、四つ切サイズに自家プリントしてお渡ししました。
喪主として多忙なため、葬儀明けまではBlogをお休みします。
父は都内に住んでいましたが、母が亡くなってから認知症が進み、毎週末に家内と世話のために訪れ、平日はデイサービスにお願いしていましたが、ついには介護のため勤めを止めざるを得なくなりなりました。
11年前、93歳の時に自宅から近い特養老人ホームに入所することが出来、また同時期に父の成年後見人にもなりました。
102歳を過ぎたころより体力の低下が目立ち、昨年は誤嚥性肺炎のため4度も入退院を繰り返し、正月明けに、担当医師からそろそろ覚悟してほしいと言われていました。
葬儀は、火葬場が混雑しているため1月22日まで待つことになり、コロナ禍の状況下、近い親族だけの家族葬です。
葬儀場の方より、生前の写真を並べて飾ることが出来ると言われ、若いころの写真も含めて20点ぐらい選んで飾ることにしました。
20年ほど前からは小まめに撮影したデータがありますが、それ以前の写真は都内の実家に保管されているアルバムとなります。
ということで、昨日、都内の実家まで出向き、アルバムの中からこれはと思える写真を60点ほど撮影してきました。
大部分は色あせてくすんだ状態でしたが、画像処理により見やすい写真に補正し、それらの中から6〜7点ほど選んでプリントして飾ることにしました。
かなり古い写真ばかりなので、プライバシー的には問題ないと判断し、その一部を紹介します。
25歳ごろ、80年ほど前の写真です。
アルバムの状態
50歳ぐらいの時に母と旅行の際に撮影したと思われます。
補正前のアルバム写真
これらの画像処理はSilkypixでRAW現像後、フォトショップのお世話になっています。
祭壇に飾る遺影は元写真お渡しすれば式場のほうで遺影に加工していただけるのですが、12年ほど前に撮影した写真を選び、私の方で入念に仕上げ、四つ切サイズに自家プリントしてお渡ししました。
喪主として多忙なため、葬儀明けまではBlogをお休みします。
氷河 [雪山]
手持ちの雪山写真はまだまだたくさんあるのですが、ここで一旦打ち切りとします。
最後は本場アルプスの氷河の写真です。
スイスのツエルマットから登山電車で行ったゴルナーグラートの展望台から見たゴルナー氷河
ここからマッターホルン方向へトレッキングした際に撮影した逆さマッターホルン
撮影日 2006年10月8日
グリンデルワルトから登山電車を乗り継いで訪れたユングフラウヨッホの展望台から写したアレッチ氷河
撮影日 2006年10月10日
この後、登山電車を途中下車してトレッキングした際に撮影したアイガーの北壁
登山電車はアイガー北壁の内部をらせん状に掘られたトンネルを通って展望台へ通じていますが、そのトンネルは100年以上前に人力で掘られたとのこと。
最後は本場アルプスの氷河の写真です。
スイスのツエルマットから登山電車で行ったゴルナーグラートの展望台から見たゴルナー氷河
ここからマッターホルン方向へトレッキングした際に撮影した逆さマッターホルン
撮影日 2006年10月8日
グリンデルワルトから登山電車を乗り継いで訪れたユングフラウヨッホの展望台から写したアレッチ氷河
撮影日 2006年10月10日
この後、登山電車を途中下車してトレッキングした際に撮影したアイガーの北壁
登山電車はアイガー北壁の内部をらせん状に掘られたトンネルを通って展望台へ通じていますが、そのトンネルは100年以上前に人力で掘られたとのこと。
モンブラン [雪山]
雪山シリーズが続きます。
今までは国内の雪山でしたが、今回は2006年10月に訪れたヨーロッパアルプスのモンブランです。
フランスのシャモニーからロープウエーを2本乗り継いで、富士山より高い標高3,842mの エギーユ・デュ・ミディ展望台での撮影です。
前夜ふもとでは大雨で山は猛吹雪でした。
展望台に着いたときは吹雪の名残のある雪煙が舞い上がる状態で、迫力のある山岳風景を撮影することが出来ました。
Nikon D200 撮影日 2006年10月7日
今までは国内の雪山でしたが、今回は2006年10月に訪れたヨーロッパアルプスのモンブランです。
フランスのシャモニーからロープウエーを2本乗り継いで、富士山より高い標高3,842mの エギーユ・デュ・ミディ展望台での撮影です。
前夜ふもとでは大雨で山は猛吹雪でした。
展望台に着いたときは吹雪の名残のある雪煙が舞い上がる状態で、迫力のある山岳風景を撮影することが出来ました。
Nikon D200 撮影日 2006年10月7日
志賀高原 [雪山]
まだまだ雪山シリーズが続きます。
2003年2月1〜2日の志賀高原でのスキー行の際に撮影した画像で、天候と最高の雪質に恵まれました。
カメラは前年の2002年6月の発売日に買ったNIKONのD100で最初のデジ一眼レフカメラでした。
まだ記念として手元にあり、撮影可能です。
D100は600万画素で4K動画の800万画素にも劣る画素数でしたが、RAWでの撮影が可能で、それ以前に使っていたコンデジとは価格、画質とも別格でした。
当時はまだメモリーの容量が少なくて高価で、最初はわずか32MBのコンパクトフラッシュメモリーでした。
この時は64MBと192MBのコンパクトフラッシュを使用していたはずです。
正面の山は横手山のはずです。
2003年2月1〜2日の志賀高原でのスキー行の際に撮影した画像で、天候と最高の雪質に恵まれました。
カメラは前年の2002年6月の発売日に買ったNIKONのD100で最初のデジ一眼レフカメラでした。
まだ記念として手元にあり、撮影可能です。
D100は600万画素で4K動画の800万画素にも劣る画素数でしたが、RAWでの撮影が可能で、それ以前に使っていたコンデジとは価格、画質とも別格でした。
当時はまだメモリーの容量が少なくて高価で、最初はわずか32MBのコンパクトフラッシュメモリーでした。
この時は64MBと192MBのコンパクトフラッシュを使用していたはずです。
正面の山は横手山のはずです。